A Happy New Year 2006


皆様、明けましておめでとう御座います。
昨年3月末、31年勤めてまいりましたキヤノン株式会社を早期リタイアをしました。 在職中、お世話にまりました方々、誠に有難う御座いました。日本の常識にとらわれず、人生を、のびのび生きていきたいと思い、退職に踏み切りました。これからは、新たな目標に向かいながらも、生活を楽しみながら、夫婦2人と猫一匹、のんびりと歩んでいきたいと思っています。今後も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
作成日 2006年お正月
Produced by Masaharu Kawamura (川村正春、初枝、茶トラのチャーチャ)
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  • 2005年8月から12月までの国内の写真を集めました。

    8月、山梨に行く。旧甲州街道の最大の難所、笹子峠は、昭和33年まで幹線として使われていた。今年は、旧箱根街道や志賀坂峠にも行った。古い街道でたたずみ過去の情景やはるか昔の人々を想う。秩父の最高点2601m北奥仙丈岳にも登った。大弛峠から簡単に行ける。30年前に行った時とは、様変わりしていた。 明野村のひまわり畑は、あの「いま会い」のロケをしたところ。少しづつ満開時期をずらす賢い仕業。
    9月は巾着田の曼珠沙華。この地は、なんと1300年前もの昔、韓国から移住してきた1799人によって開発された。それゆえ高麗という地名になった。彼岸花という別名で嫌う人もいるが、なんとも可憐で美しい。
    10月、紅葉狩りで蓼科から志賀高原に行った。蓼科からみた上田の美しさを初めて知った。 「トクー」で直前予約した志賀竜王の1泊2食3900円の宿は、愉快なところ。 信じがたい程、食事が素晴らしい。 松茸が食べたいと言ったら、あとから巨大な松茸を宅配便で送って来た。もちろんサービスで。
    11月に奥秩父最後の秘境、西沢渓谷を歩いた。この険しい道を昭和43年までトロッコで木材を運んでいたとは、驚きだ。
    12月に入って、香嵐渓に行った。紅葉狩りには遅かったが、半分は親孝行。亡くなった祖母が生まれ育った地は、その近くにある。今でも本家があり、訪れた母は本当に嬉しそうだった。帰りに寄った御殿場の時之栖(ときのすみか)は、250万球のイルミネーションが340mのトンネルを飾る。言葉ではあらわせないくらい綺麗だが、資源の無駄使いかな。





    2005年、エジプトとトルコの旅行記です。


    11月に2週間をかけてエジプトとトルコに行ってきました。実は、この地方には、あまり興味もなく地理的には大体、把握していたものの、旅行しようなどとは思ってもいませんでした。
    でも、スフィンクスの前で写っている江戸時代の侍の写真をみてからというものの、世界を旅して、世界を知ろうとしているものにとって、250年前の日本人と同様の感動を味わわなくって、どうするのかという気持ちになってしまったのです。 また、トルコは、あの兼高かおるが、国民性が世界で一番良いところと言っていたことと、トルコ料理が世界3大料理のひとつであるいうことが頭の片隅にありました。
    今回は、個人旅行ではなくて、パッケージツアーに参加しました。やはり先進国ではないので、日本での事前の予約体制が整っていない事と安全性に対する不安もありました。それにもまして、このツアーが個人で行くより、圧倒的に格安だったから決めてしまったというのが正しいのかもしれません。
    エジプト・エアーの成田/カイロの往復という条件なので、エジプトに2回も入国するという非効率な旅行でしたが、(入国税ビザを2回払った。)添乗員のいる旅は、気楽にいけるというメリットがあります。



    .┘献廛函Εイロ(11月8日晴れ)
    初日の観光。ギザの3大ピラミッド。この雄大な姿は、感動的だ。4500年前のはるかなる人類の歴史に感慨無量。天気もすばらしい。第一、第二、第三の順に見学。日本のツアーのほとんどは、カフラー王の第2ピラミッドの内部見学をする。内部はカメラ持ち込み禁止で、蒸し暑い。

    第一ピラミッド(クフ王)の入り口付近

    このピラミッドは、一日300人の内部見学者に制限している。それだけ、内部の傷みが激しいとのこと。人が入ることによって、湿度が増し崩壊が早まる。朝早くから並ばないと入場できない。

    第一ピラミッド

    ギザの3大ピラミッドの中で最大のものだ。観光客も多いが物売りや観光警察、ラクダ引きも沢山。みんな金をせびる。だまされて、多くのお金をとられる人もいる。写真を撮っても、撮ってもらっても金を要求される。但し、あげなくてもよいようだ。このことを意識することが大切。警察官だからといって安心はできない。

    パノラマポイントからギザの3大ピラミッドを見る。

    左から第一(クフ王)、第二(カフラー王)、第三ピラミッド(メンフラワー王)、右の小さいのは王妃のもの。真ん中の第二(カフラー王)の内部を見学した。第二ピラミッドだけは、化粧岩による外部上部の表面が平らになっている部分が残っていて、エジプトで最も美しいピラミッドと呼ばれる。このピラミッドの正面(写真の逆側)には参道、河岸神殿のピラミッドコンプレックスが残存する。

    スフィンクス

    第2ピラミッドにつながった、スフィンクス。下部は修復されているので、本当はどのようになっていたのかは不明だそうだ。江戸時代の侍がここで撮った写真が残っている。次の写真が、その今から250年前の写真だ。だいぶ様子が違う。今は、当時のように、スフィンクスのそばには行けない。 私はこの写真を見て、現代の旅行者として、エジプトに行かなくてはならない思ってしまった。

    江戸時代末期頃のスフィンクス

    文久3年(1863)末、フランスとの外交交渉を主とする第二回遣欧使節団(総勢34名)は仏艦ル・モンジュ号で横浜を出航した。 当時、アジア・ヨーロッパ航路は喜望峰(南アフリカ共和国)を回るルートか、紅海へ入りエジプトを陸路で地中海に抜けるルートがあった。スエズ運河は1859年に着工し、完成は1869年であるからこの頃はまだ開通していない。 翌元治元年(1864)3月13日パリに到着したが、交渉は不調に終わった。往路、エジプトのスフィンクスの前で記念撮影したのがこの写真。一行はピラミッドはもちろんのこと異文化に驚いたろうが相手方も珍奇な、いでたちの日本人には興味を覚えたことだろう。
    http://www5.inforyoma.or.jp/
    ~appli/bakumatu/sisatudan.htm

    カフラー王のピラミッドとスフィンクス

    こちら側が、ピラミッドコンプレックス、代表的なビューポイントだ。スフィンクスが見ている方向にケンタッキーフライドチキンのお店が本当にある。でも小さいので気にはならない。

    ランチのレストランでパンを焼くおばさん

    レストランでは焼きたてのパンを出してくれる。このパンはアエーシという。なくなればいくらでも食べ放題。どこのレストランでもパンだけはおいしい。真っ先に、ここを見つけて写真を撮る。後から来た人は、お金を取られたようだ。なんでも、最初にやると、お金を要求される前に退散できる。ちなみにこのアエーシは、ごまペーストのタヒーナやなすペーストのババガヌークをつけて食する。これが、実にうまい。

    エジプト考古学博物館

    ここもカメラを持ち込む事はできない。さまざまな展示がなされている。必見。特に、ツタンカーメン王の黄金の棺やミイラの黄金のマスクは圧巻。3000年以上前に造られた。日本では有史以前の出来事だ。でも、生物の歴史からみると誤差範囲である。そういう意味では、現代の文明など、昔に比べ化石燃料による加工が加わっただけの幼稚な文明と言わざるを得ないのだが。


    ▲┘献廛函Ε▲譽サンドリア(11月9日晴れ)
    朝早く、カイロから列車に乗って、アレキサンドリアへ移動。日帰りの列車の旅だ。

    アレキサンドリア駅前にて

    クレオパトラで有名な地中海のリゾート地アレキサンドリア。もう少し、ヨーロッパ的かなと思っていたが、エジプトそのもの。シーフードランチというので期待していたが、ボラの塩焼き。日本じゃ売り物にもならないものを食わせるなよ。

    エジプトお買い物事情
    ガイドは、エジプト人で日本語ができる。この頃から、おみやげ攻勢が始まった。先ずは、干しナツメヤシのお菓子。干し柿のようなものだ。一箱では売らない。1ダースで5000円。極めて高いが、バスの中で試食させると、飛ぶように売れる。殺し文句は、「トルコ見物が終わった後、再びカイロに戻ったとき、お渡しします。日本に戻る前の日ですから、荷造りが簡単です。」
    次は、エジプト綿のTシャツ、象形文字で貴方の名前の刺繍をします。ガイドは、そのTシャツを着ている。なんと、1枚1500円。これも、オーダーだから、カイロに戻ったとき、渡される。殺し文句は品質だ。そこらで売っているものとは、品質が違うとのこと。バスの中で実際に触らせる。こんな暴利な商品だが、日本人観光客は、先を争うように注文するのだ。あとで、分かったことだが、トルコの観光地の駐車場で、得体の知れないおじさんが4枚1000円でTシャツを売っていた。それを買った人は、このエジプト綿のTシャツも注文していて、最後の日に、両者を比較したとのこと。その結果、4枚1000円の方が、ずっと縫製がよかったと文句を言っていた。
    エジプト押し売り事情
    今度は、日本人観光客相手の高級なおみやげ屋での、押し売り戦略だ。先ずは、香水店。大きな部屋に、全員を入れてしまいドアを閉め、缶詰状態。そこで日本語ぺらぺらな現地人がユーモアたっぷりに商品の説明をする。飲み物もサービスされる。たくさんの種類の香水を実際に一人一人の手につけて、体験させるのだ。これで30分は十分かかる。その後が大変だ。何処から来たのかと思う程の人間が入ってきて、個別にセールスをする。もちろん、みんな日本語が出来る。うそのような話である。本当に買う人がいるのだろうかと思っていると、これが結構いるから不思議だ。エジプトでは、この香水屋の他、パピルス屋と金細工の3店で、このような経験をした。無駄な時間だと思ったが、商魂たくましいエジプト人と日本人観光客の世間知らずをこの目で確認した瞬間だった。 

    カイロ/モハメッド・アリのモスク(11月10日晴れ)
    (ガーマ・ムハンマド・アリ)カイロには多くのモスクが点在する。ここは、高台にありカイロのランドマークだ。

    モスク内部にて

    内部は、靴を脱がなくてはならない。多くの人が床に座り、説明を聞いている。荘厳な雰囲気。天井の美しさをバックに床から長秒時で撮影。

    モスク内部でエジプトの少女達と

    静かに撮影していたら、遠足の小学生くらいの子供達が入ってきた。ばたばたと子供はどこでも同じだ。英語を習っているということで、しゃべりたくてしょうがないようだ。しばしコミュニケーション。愛嬌たっぷりで本当にかわいい。写真を撮ってあげると大騒ぎ。警備員に注意されるけれど、その場限り。

    モスクの出口付近

    すばらしい建築、庭も美しく広い。庭では、いろいろなお土産を売っている。

    モスクから見たカイロの町

    ここからの景色はなかなかのもの。この付近でも、別の子供達に囲まれる。お金を取られるわけではない。無邪気な子供達と会話がはずむ。子供達は大騒ぎでまたまた、警備員に注意される。モスクは大声を出してはいけないところなのだ。注意されても、その時だけ。
    夜、空路イスタンブールに向う。

    エジプト人気質って何?
    写真を撮るのでもチップ。撮ってもらうのでもチップ。トイレでもチップ。
    ここで本当にあった面白い話! 
    ------ 年齢は70位の男性。高校時代のお友達と一緒に、この旅に参加している。時差で、内臓の調子が悪く、ちょっと便秘気味。バスの旅は1時間から2時間おきにしか、トイレ休憩がないので、気になるときは、無理してもトイレに行く。そのトイレ休憩も、そんな状態だったらしい。でも小銭がない。エジプトでは、大体1ポンド、18円がチップの相場だ。お友達に借りようとしたが、1米ドルしか持っていないとのこと。仕方がないのでそれを借りて、いざトイレへ。大きい方に入り、頑張ったが、出るのは「プー」っと、おならが一発だけ。でもトイレの出口には、人がいるので、1ドルをあげてしまった。あとから話すには、「参った。参った。高い屁だったよ。プー1回で1ドル。それも人に借りた金。-------
    タクシーは予め値段交渉しないと、メーターなどあてにならない高額を要求される。ラクダ観光すると高額な料金を払わないとおろしてくれない。なんでも、お金、お金、お金。スリや置き引きなどは日常茶飯事。観光客は、みんな言っている。この国は本当にひどい社会だと。でも、振り返って考えて見たい。昔からエジプトは、こんな社会だったのだろうか。イスラムは貧しい人達に施しを与える教義はあるものの、泥棒を認めているわけではない。法外なお金を要求しても、誰も払わなければそんな社会はできない。でも、無防備でブランド物を身につけ、一万円以下のお金など、お金のうちに入らないと、パッパと使ってしまう日本人観光客が団体で沢山押しかけて来たら、どうだろうか。迎えうつ側は自然に、こんな社会になるのではないだろうか。真面目にやっていても損をするだけ。だました方が勝ちだ。通常の10倍や100倍のお金を要求しても、いとも簡単に手に入ってしまうなら、真面目に働く人間はいなくなってしまう。日本人観光客は、こんなひどい社会を自分達が、今でも正に作っているのだとは、夢にも思わず、日本円をばらまいているのだ。自分達だけの身勝手で、他の国の文化を変えてしまっている。日本の現代社会は、そんな成金文明なのではないだろうか。

    ぅ肇襯魁Εぅ好織鵐屐璽襦11月11日曇り後、晴れ)
    これからメインのトルコ周遊のツアーが始まる。地理は得意だったが、この辺は、あまり、なじみがない。イスタンブールはヨーロッパ大陸の最東端である。でも、ここから橋を渡ったアジア側は、アジア大陸の最西端ではない。わかるかな。
    この日は、最初にトプカプ宮殿を見学。宝物館の86カラットのダイヤモンドと世界最大の3Kgのエメラルドはすごい。(撮影禁止)でも、別にどうってことない警備でした。ルパンなら簡単に持っていっちゃう・・?

    金角湾

    トプカプ宮殿から金角湾を望む。遠くのガラタ橋は、湾を横断するもの。

    トルコ人の学生と。

    今日は、イスタンブールからヨーロッパ大陸を西に向かう。ギリシャまで40Kmのところで南に向かう。バスに乗ったままアジア側へのフェリーに乗る。このアジア側がアジア大陸の最西端付近。チャナッカレという街がある。フェリーで彼らが挨拶をしてきたので、しばし、コミュニケーション。背の高いのが一番英語が話せる。彼は、航海士の学校に行っているとの事。彼女は看護士の学校。みんな真面目で素直だ。


    ゥ肇襯魁Ε船礇淵奪レ(11月12日晴れ)
    チャナッカレのコリンホテルに宿泊。今回の旅で一番の宿だった。

    トロイの木馬

    トロイの遺跡の入り口に伝説の木馬がおかれている。急な階段で2階まで登って記念写真がとれる。

    ベルガマのアクロポリス遺跡にて

    ギリシアの遺跡と類似している。ここの歴史はアレキサンダー大王の死後(紀元前4世紀頃)始まった。いろいろな遺跡があるが、図書館には20万冊の蔵書があったという。この1万人が入れる劇場跡は、景色がすばらしい。


    Ε肇襯魁Εぅ坤漾璽襦11月13日晴れ)
    温泉プールがあるプリンセス・サーマル・ホテルだが、概観だけ立派で中身は安普請。

    エフェソスの遺跡

    ここは、期待以上です。必見。大理石通りや神殿など、その広さ、遺跡の多さに圧倒される。見学に一時間以上の時間がかかる。この写真は円形劇場。2万4千人が収容できたという。リピータの人が、全員の分の歌詞を持って来ていて、みんなでコーラスをする。音が響いて歌手になった感じ。周りの観光客から拍手喝采。楽しくて2曲も歌った。

    円形劇場を背景に

    前の写真の円形劇場を背景に記念写真。来るまで知らなかったエフェソスの遺跡。本当にすばらしかった。写真では表現しきれない。


    Д肇襯魁Ε僖爛奪レ(11月14日晴れ)
    温泉プールがあるリッチモンド・サーマル・ホテル。すごい混雑。レストランに人があふれている。最悪。でも、しっかり、温泉プールに入った。夏は、それ以上に混雑するとの事。

    パムッカレの石灰棚の奇観。

    温泉が流れていて、みんなで大騒ぎ。とても滑るので転んで濡れちゃった人もいる。色々な国の観光客がいて楽しい。

    メプラーナ博物館

    パムッカレから410Kmバスに揺られコンヤへ。夕方、メプラーナ博物館を見学。金刺繍の棺を置いた内壁が美しい。

    おみやげ購入タイミング
    このツアーに来ている人は、ほとんどがリタイア組で、過去、たくさんの海外旅行を経験している。そんな人たちでも、こんな商売で、簡単にお金を払ってしまう。なぜかと考えてみた。
    ‐ι覆蓮△△訥度、高いことは周知の上だが、あとで同じようなお土産を買うチャンスがあるかどうか不安だ。
    △箸砲く、日本で待っている家族やお友達にお土産を買っていかなくてはならないという脅迫感があり、早くそれから脱却したい。
    9發い箸い辰討癲日本では売っていないかもしれないし、年金のお金は使い放題で、こんな金額は、どうってことない。
    いばさんのお友達同士だと、つい競争して買ってしまう。 
    今度はトルコショッピング
    トルコのショッピングと名づけたトルコ旅行代理店の押し売り作戦の一発目は、革製品のお店だ。まわりには何もない、ど田舎に忽然とあらわれた近代的なお店。バスが到着すると、ファッションショー会場に案内され、お茶のサービスだ。それから、革製品のジャケットやコートのファッションショーが始まる。最後は、お金がありそうな観光客を男女一人づつ、奥に連れて行き、彼らに衣装を着させ、一緒にファッションショーをする。
    あ々、なんて楽しいのだろうか・・・。
    その次に店内に連れて行き、入り口のドアをまたもや閉めてしまう。大勢の日本語ができる店員が出てきて、お決まりの個別セールスだ。こんな商売でも、10万円以下の価格だと、2〜3組位は、お金を払っていた。

    ┘肇襯魁Ε灰鵐筺11月15日晴れ)
    コンヤのオズカイマック・ホテルの前には大型ショッピングモールがあり、スーパーマーケットがあった。今までの、お土産屋の品物が、うそのような安い値段で売られている。私達はここで初めて、少し買い物をする。

    カイマクル地下都市にて

    コンヤから230Kmのカッパドキアに移動。カッパドキア周辺は非常にやわらかい岩で出来ている。この地下都市は地下8階まであるそうだ。アラブ人に迫害されたキリスト教徒が住んでいた。入り組んでいて迷子になってしまいそう。時間の関係で地下4階まで見学。ここは、年中同じ温度だそうだ。紀元前400年。2万人が暮らしていたという。

    トルコ絨毯のお店にて

    トルコ絨毯のお店で1時間以上、缶詰めにされた。織り子がいて写真を撮らせ、絹糸の作り方から、絨毯のピンキリの説明まで。最後は大勢の店員が出てきて、個別で売り込み。ここまでわざとらしくされると、さすがにだまされる人はいなかった。サービスのトルコ・コーヒーをはじめてトライした。下に残ったどろどろは、飲んではいけない。味はちょっと変わっている。この写真は最高級シルクの絨毯で200万円とか。

    トルコショッピングその2
    ショッピングの2発目は、トルコ絨毯。3発目は、トルコ石だ。もうこうなってくると、慣れてきてしまい、他の楽しみを探す。 相手は日本語ができるのだから、少しづつ別の方向に話をもっていき、楽しい雑談にしてしまう。「日本語上手だね。へー、名古屋で日本語を勉強したんだ。味噌カツ食べた?そうか。イスラムはポークを食べないんだったね。残念だね、美味しいのに!」 なんて。
    ここで、その昔の話。日本のバブルの時代。日本人のある添乗員は、月に500万円を別収入として稼いでいたとのこと。日本の旅行者を皮製品店、トルコ絨毯店、トルコ石の宝石店に連れて行くだけで。現地のガイドやお店は、もっと稼いだということだ。その名残が今の立派なお店の佇まいなのだろう。

    ギョレメの街を背景に

    カッパドキアのやわらかい地質によって、侵食が急速に進み奇岩が出来上がる。ギョレメの街は、その中心地だ。地球創世の時は、世界中がこんな景色だったのかも知れない。夕陽に照らされ美しい。

    ゼルベの谷にて

    きのこ岩の中で、別のきのこ岩を背景に。きのこ岩も、やわらかいので、中は住居だった。今でも人が住んでいる岩もある。この日は、はとの谷、ウチヒサール、チョウシン、ラクダの谷などを巡った。どれも奇岩で面白いが飽きてしまった。


    トルコ・カッパドキア(11月16日晴れ)
    カッパドキア地方のウルギャップの街にあるペリッシア・ホテルに宿泊。別館は狭くて良くない。こんなに狭い湯船は日本のビジネスホテルのようだ。さすがにトルコ最大の観光地。

    ペリッシアホテルからユルギュップの街を望む

    この日の午前中は自由時間。ほとんどの人は、オプショナルツアーに出かけた。私達は、現地の人と触れ合いたくて、ユルギュップの街にでる。時間があれば写真の岩山に登ろうと思った。

    ユルギュップの小さい岩山にて

    ユルギュップの街で、一匹の犬がついてきた。観光客のにおいがするのだろう。かなり野良犬だが、愛嬌がある。

    ユルギュップの奇岩

    ユルギュップは奇岩の中にある。どこをみても、写真になる。

    ユルギュップの岩山の先端にて

    人がほとんどいないところまできてしまった。景色がすばらしい。途中でホテルに入り、道を聞きながらここまで来た。犬を道ずれのハイキングだ。この犬は帰りもずっとついてきてしまい、とうとうペリッシアホテルまでの2時間半、一緒だった。とてもかわいくなってしまい、名残惜しかった。現地の人と触れ合いたかったが、現地の犬と触れ合った旅だった。

    スリーシスターズ

    午後、カッパドキアのスリー・シスターズを見学。3人美女の谷だそうだ。奇岩も、もう見飽きたかな。

    アンカラからの寝台車にて

    この日は、ホテルに宿泊するのではなく、アンカラからイスタンブールへの夜行列車の1等寝台で旅をする。時間とコストを削減するということだ。この寝台車は人気があり、早いうちから予約しなければならない。2名定員のコンパートメントは、かなりのスペースがあり快適そのもの。冷蔵庫には、飲み物とおつまみがある。サービスなので、料金はかからない。洗面所も各部屋についているので、トイレだけが共用。みんな、昔の修学旅行気分でうかれていた。


    (11月17日曇り)
    朝8時にイスタンブールのアジア側、ハイダルパシャ駅に到着する。駅はボスポラス海峡に面しており、すぐにフェリーに乗る事が出来る。

    ボスポラス海峡

    背景に写っているのは、ハイダルパシャ駅。このフェリーで、再びヨーロッパ側に渡る。朝日が雲の切れ間から放射され、寝不足の目にまぶしい。

    エジプシャン・バザール

    午前中は、イスタンブールの観光。ブルーモスクやグランド・バザールを見学。グランド・バザールは、食べるもの以外の着るものや装飾品等のお土産屋が、ものすごい数、軒を連ねている。よくもまあ、つぶれる事がなく、これだけのお店があるものだ。それだけ、観光客が多く、単品当りの利益があるのだろう。偽物だらけということか。日本語が飛び交っている。

    この写真は、その後の自由時間に行ったエジプシャン・バザール。このバザールは、主に食品を扱っている。最後のお土産を買った店。いろいろな店と比較して再び訪れた。もちろん彼は日本語ができる。名古屋万博に行っていて、ぼろ儲けをしたと言っていた。ここでは、US20$のロシア産キャビアとUS10$のカラスミを買った。おまけにコースターを2枚つけてもらった。こんなコースターでも万博では、500円くらいで売れたのだろう。ギャンブルで買ったカラスミは、本物で美味だった。キャビアは、NG。安いキャビアはないというのが、結論か。


    最後のエジプト
    この日は、夕方イスタンブールから再びカイロに空路で向かう。最後は、またカイロのホテルに宿泊。この夜に帰国のための荷作りをする。みんな最初に買ったお土産をダンボールで受け取っている。あんな大きくって、本当にスーツケースに入るのかな。
    翌日の最終日の午前中は自由時間。オプションに参加しなかった私達は、庶民のマーケット、ギザ・スクウェアを見学することにした。でも、ガイドは、やめた方が良いと言う。とにかく危ないので、責任は持てないと。自由行動は個人の責任で行くので、誰も責任をとってくれとは言っていないのに。とにかく危ないようなので、カメラも持たず、外からは何も持っていないようにして出かけた。確かに、周りから沢山声をかけられた。完全に観光客だと見破られている。お金を巻き上げようとしている人達ばかりだ。道路には信号がないので、道を渡るときは、相当注意をしなければならない。片道3車線とか、五叉路、六叉路とかは、命がけだ。信号がないので車が途切れない。それでも無理して渡る。クラクションは、あちらこちらで鳴っている。親切に車を止めて渡らしてくれる人がいて、渡ったら英語で声をかけて来た。「おはよう。日本人?自分は大阪にいたんだ。こっちにいるのは息子だ。これからどこ良くの?」 「ただ、歩いているだけ」って答えたら、その親子は何も言わずに引き返した。それまで、ニコニコしてついて来ていたのに、いきなり無視された。たぶん、タクシーの客引きだろう。どこかに行くって答えたら、しつこくされたに違いない。
    ギザ・スクウェアのマーケットは、道端で野菜、果物、肉を売っている。動物の肉を道端で解体している。すごい匂いだ。私達を見て、みんな異様な顔をしている。日本人を、ほとんど見たことがないのだろう。まだ、朝なので歩いている人は少ない。だからむしろ安全だ。マーケットの雰囲気を味わったので、早々に引き返すことにした。帰路、変則的な交差点で、もうちょっとで車に引っ掛けられそうになった。やはり、道を渡るのは、あぶない。

    イスラムの世界について
    イスラム社会について、その信者であるマレーシア前首相マハティール氏はこう述べている。イスラムは、約1千もの宗派があり、解釈の違いで分断され、かつて世界において担っていた役割を果たせず、弱体化し迫害されている。ムハンマドの教えは、読めということだが、コーランには何を読むかは示されていない。初期のイスラム教徒は科学、数学、哲学の書を読んだ。その結果、イスラムの学者は天文学、地理学、数学の新分野を発展させた。ところが、イスラムの有識者達は15世紀ごろから科学的な研究を抑制しはじめた。彼らは、イスラムの法体系を学ぶものだけが死後の勲功を享受できると主張し、宗教のみを学び始めたのだ。一方、欧州では、ルネッサンス期を向かえ、大きくその知的文化が変革された。この時から、イスラム世界は知的後退期へと向かったのだ。コーランは、私達が変える努力をしなければ、アラーは、私達の不幸な状況を変えない、と諭す。ところが、多くのイスラム教徒は、これを無視し続け、失われた栄光の回復をアラーに祈るだけである。

    エジプト社会は正に、このような状況になっているのだろう。紀元前には、あれほどの文明があったにもかかわらず、今や、その何千年前の遺跡に頼り、警官までもが、観光客から金をせびる社会となっている。一方、トルコは少し変わりつつある。政教分離を唱え、2005年にデノミを行い、それまでの強烈なインフレを抑えようとしている。ヨーロッパ側の社会に変わろうとしている。だが、国民の大部分はイスラム教徒であることは変わらない。このヨーロッパとアジアの境界社会が、ヨーロッパ風政治とアジア風宗教のジレンマの中で、これからどう舵をとっていくのか? とても興味深い。

    宗教と幸福感について
    これだけ高度な近代文明が発達していると自らが認識している日本において、どれだけの国民が常に幸福感を感じながら人生を過ごしているのだろうか。過去に比べ、経済的には余裕が出てきているにもかかわらず、人生そのものを楽しむ余裕を感じている人が、どれだけいるかは、とても疑問である。一方、欧米社会と比較すると、優先順位が逆であると言われている。つまり、人生を楽しむことが優先し、経済的なことはその次。「日本は、資源がないから」という言い訳が、昔からよく使われている。でも、もうその時代は、とっくに終わったのではないだろうか。資源がないのは、何も日本だけではないし、日本経済は、その壁を乗り越えて、今や世界をリードしている立場なのだから。
    もう一つの理由に、日本には宗教がないからだと。確かに、これだけ宗教に依存されない社会は、世界断トツのNo.1。 世界の常識から考えると、日本人は人間じゃないということ。個人の人生なんて考えさせず、リタイアまで全力疾走させる。人生の基準は、大多数の他人とマスメディアに委ねる。人と同じなら、ひとまず安心する。幸福感って、他人より幸せだってことか?

    日本に来ている外国の宣教師の話
    ---- 今晩のディナーは奥さんと外で食事をするというので、朝からゴキゲンでニコニコしている宣教師。年に3回外食をするという。それは、自分と奥さんの誕生日、そして結婚記念日。この、年に3回が、とても楽しみ。「今日はどこで食事をするの」って聞くと、その答えは近くのいわゆるファミリーレストランだった。私たちが忘れていたちょっとしたことを、これほど幸せに感じられる。なんて、素晴らしいことなのだろう。

    イギリスで会った初老の男性の話
    ---- 花が咲き乱れた草原のフットパスで、その初老の男性とすれ違おうとする。お互いに挨拶をする。彼は立ち止まり、「お元気ですか?」って、質問をした。とても気持ちの良い天気の日だったので、「とても、幸せな気分です」と、答えた。彼は、それから話しはじめた。自分の奥さんを数ヶ月前に亡くしたので、今、イギリス国内を旅行しているところだと。でも、ぜんぜん寂しくはない。なぜなら、彼女はいつも自分の近くにいて、こうやって、彼女と話しながら、旅行しているのだから。この澄み切った青い空の下で彼女と話しながら歩くことは、どんなに幸せなことか。神は、この自分をいつも見つめていてくれる。あなた達も、幸せで良かった。これからも良い旅をしてください。
    私達は、まるで天国でスポットライトを浴びているような幸せな気持ちをもらった。