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皆様、明けましておめでとう御座います。
昨年3月末、31年勤めてまいりましたキヤノン株式会社を早期リタイアをしました。 在職中、お世話にまりました方々、誠に有難う御座いました。日本の常識にとらわれず、人生を、のびのび生きていきたいと思い、退職に踏み切りました。これからは、新たな目標に向かいながらも、生活を楽しみながら、夫婦2人と猫一匹、のんびりと歩んでいきたいと思っています。今後も、どうぞよろしくお願い申し上げます。 作成日 2006年お正月
Produced by Masaharu Kawamura (川村正春、初枝、茶トラのチャーチャ)
2005年8月から12月までの国内の写真を集めました。
2005年、エジプトとトルコの旅行記です。
11月に2週間をかけてエジプトとトルコに行ってきました。実は、この地方には、あまり興味もなく地理的には大体、把握していたものの、旅行しようなどとは思ってもいませんでした。 でも、スフィンクスの前で写っている江戸時代の侍の写真をみてからというものの、世界を旅して、世界を知ろうとしているものにとって、250年前の日本人と同様の感動を味わわなくって、どうするのかという気持ちになってしまったのです。 また、トルコは、あの兼高かおるが、国民性が世界で一番良いところと言っていたことと、トルコ料理が世界3大料理のひとつであるいうことが頭の片隅にありました。 今回は、個人旅行ではなくて、パッケージツアーに参加しました。やはり先進国ではないので、日本での事前の予約体制が整っていない事と安全性に対する不安もありました。それにもまして、このツアーが個人で行くより、圧倒的に格安だったから決めてしまったというのが正しいのかもしれません。 エジプト・エアーの成田/カイロの往復という条件なので、エジプトに2回も入国するという非効率な旅行でしたが、(入国税ビザを2回払った。)添乗員のいる旅は、気楽にいけるというメリットがあります。 �.┘献廛函Ε�イロ(11月8日晴れ) 初日の観光。ギザの3大ピラミッド。この雄大な姿は、感動的だ。4500年前のはるかなる人類の歴史に感慨無量。天気もすばらしい。第一、第二、第三の順に見学。日本のツアーのほとんどは、カフラー王の第2ピラミッドの内部見学をする。内部はカメラ持ち込み禁止で、蒸し暑い。 このピラミッドは、一日300人の内部見学者に制限している。それだけ、内部の傷みが激しいとのこと。人が入ることによって、湿度が増し崩壊が早まる。朝早くから並ばないと入場できない。 ギザの3大ピラミッドの中で最大のものだ。観光客も多いが物売りや観光警察、ラクダ引きも沢山。みんな金をせびる。だまされて、多くのお金をとられる人もいる。写真を撮っても、撮ってもらっても金を要求される。但し、あげなくてもよいようだ。このことを意識することが大切。警察官だからといって安心はできない。 左から第一(クフ王)、第二(カフラー王)、第三ピラミッド(メンフラワー王)、右の小さいのは王妃のもの。真ん中の第二(カフラー王)の内部を見学した。第二ピラミッドだけは、化粧岩による外部上部の表面が平らになっている部分が残っていて、エジプトで最も美しいピラミッドと呼ばれる。このピラミッドの正面(写真の逆側)には参道、河岸神殿のピラミッドコンプレックスが残存する。 第2ピラミッドにつながった、スフィンクス。下部は修復されているので、本当はどのようになっていたのかは不明だそうだ。江戸時代の侍がここで撮った写真が残っている。次の写真が、その今から250年前の写真だ。だいぶ様子が違う。今は、当時のように、スフィンクスのそばには行けない。 私はこの写真を見て、現代の旅行者として、エジプトに行かなくてはならない思ってしまった。
江戸時代末期頃のスフィンクス文久3年(1863)末、フランスとの外交交渉を主とする第二回遣欧使節団(総勢34名)は仏艦ル・モンジュ号で横浜を出航した。 当時、アジア・ヨーロッパ航路は喜望峰(南アフリカ共和国)を回るルートか、紅海へ入りエジプトを陸路で地中海に抜けるルートがあった。スエズ運河は1859年に着工し、完成は1869年であるからこの頃はまだ開通していない。 翌元治元年(1864)3月13日パリに到着したが、交渉は不調に終わった。往路、エジプトのスフィンクスの前で記念撮影したのがこの写真。一行はピラミッドはもちろんのこと異文化に驚いたろうが相手方も珍奇な、いでたちの日本人には興味を覚えたことだろう。 http://www5.inforyoma.or.jp/ ~appli/bakumatu/sisatudan.htm こちら側が、ピラミッドコンプレックス、代表的なビューポイントだ。スフィンクスが見ている方向にケンタッキーフライドチキンのお店が本当にある。でも小さいので気にはならない。 レストランでは焼きたてのパンを出してくれる。このパンはアエーシという。なくなればいくらでも食べ放題。どこのレストランでもパンだけはおいしい。真っ先に、ここを見つけて写真を撮る。後から来た人は、お金を取られたようだ。なんでも、最初にやると、お金を要求される前に退散できる。ちなみにこのアエーシは、ごまペーストのタヒーナやなすペーストのババガヌークをつけて食する。これが、実にうまい。 ここもカメラを持ち込む事はできない。さまざまな展示がなされている。必見。特に、ツタンカーメン王の黄金の棺やミイラの黄金のマスクは圧巻。3000年以上前に造られた。日本では有史以前の出来事だ。でも、生物の歴史からみると誤差範囲である。そういう意味では、現代の文明など、昔に比べ化石燃料による加工が加わっただけの幼稚な文明と言わざるを得ないのだが。 �▲┘献廛函Ε▲譽�サンドリア(11月9日晴れ) 朝早く、カイロから列車に乗って、アレキサンドリアへ移動。日帰りの列車の旅だ。 クレオパトラで有名な地中海のリゾート地アレキサンドリア。もう少し、ヨーロッパ的かなと思っていたが、エジプトそのもの。シーフードランチというので期待していたが、ボラの塩焼き。日本じゃ売り物にもならないものを食わせるなよ。
��カイロ/モハメッド・アリのモスク(11月10日晴れ) (ガーマ・ムハンマド・アリ)カイロには多くのモスクが点在する。ここは、高台にありカイロのランドマークだ。 内部は、靴を脱がなくてはならない。多くの人が床に座り、説明を聞いている。荘厳な雰囲気。天井の美しさをバックに床から長秒時で撮影。 静かに撮影していたら、遠足の小学生くらいの子供達が入ってきた。ばたばたと子供はどこでも同じだ。英語を習っているということで、しゃべりたくてしょうがないようだ。しばしコミュニケーション。愛嬌たっぷりで本当にかわいい。写真を撮ってあげると大騒ぎ。警備員に注意されるけれど、その場限り。 すばらしい建築、庭も美しく広い。庭では、いろいろなお土産を売っている。 ここからの景色はなかなかのもの。この付近でも、別の子供達に囲まれる。お金を取られるわけではない。無邪気な子供達と会話がはずむ。子供達は大騒ぎでまたまた、警備員に注意される。モスクは大声を出してはいけないところなのだ。注意されても、その時だけ。 夜、空路イスタンブールに向う。
�ぅ肇襯魁Εぅ好織鵐屐璽襦�11月11日曇り後、晴れ) これからメインのトルコ周遊のツアーが始まる。地理は得意だったが、この辺は、あまり、なじみがない。イスタンブールはヨーロッパ大陸の最東端である。でも、ここから橋を渡ったアジア側は、アジア大陸の最西端ではない。わかるかな。 この日は、最初にトプカプ宮殿を見学。宝物館の86カラットのダイヤモンドと世界最大の3Kgのエメラルドはすごい。(撮影禁止)でも、別にどうってことない警備でした。ルパンなら簡単に持っていっちゃう・・? トプカプ宮殿から金角湾を望む。遠くのガラタ橋は、湾を横断するもの。 今日は、イスタンブールからヨーロッパ大陸を西に向かう。ギリシャまで40Kmのところで南に向かう。バスに乗ったままアジア側へのフェリーに乗る。このアジア側がアジア大陸の最西端付近。チャナッカレという街がある。フェリーで彼らが挨拶をしてきたので、しばし、コミュニケーション。背の高いのが一番英語が話せる。彼は、航海士の学校に行っているとの事。彼女は看護士の学校。みんな真面目で素直だ。 �ゥ肇襯魁Ε船礇淵奪�レ(11月12日晴れ) チャナッカレのコリンホテルに宿泊。今回の旅で一番の宿だった。 トロイの遺跡の入り口に伝説の木馬がおかれている。急な階段で2階まで登って記念写真がとれる。 ギリシアの遺跡と類似している。ここの歴史はアレキサンダー大王の死後(紀元前4世紀頃)始まった。いろいろな遺跡があるが、図書館には20万冊の蔵書があったという。この1万人が入れる劇場跡は、景色がすばらしい。 �Ε肇襯魁Εぅ坤漾璽襦�11月13日晴れ) 温泉プールがあるプリンセス・サーマル・ホテルだが、概観だけ立派で中身は安普請。 ここは、期待以上です。必見。大理石通りや神殿など、その広さ、遺跡の多さに圧倒される。見学に一時間以上の時間がかかる。この写真は円形劇場。2万4千人が収容できたという。リピータの人が、全員の分の歌詞を持って来ていて、みんなでコーラスをする。音が響いて歌手になった感じ。周りの観光客から拍手喝采。楽しくて2曲も歌った。 前の写真の円形劇場を背景に記念写真。来るまで知らなかったエフェソスの遺跡。本当にすばらしかった。写真では表現しきれない。 �Д肇襯魁Ε僖爛奪�レ(11月14日晴れ) 温泉プールがあるリッチモンド・サーマル・ホテル。すごい混雑。レストランに人があふれている。最悪。でも、しっかり、温泉プールに入った。夏は、それ以上に混雑するとの事。 温泉が流れていて、みんなで大騒ぎ。とても滑るので転んで濡れちゃった人もいる。色々な国の観光客がいて楽しい。 パムッカレから410Kmバスに揺られコンヤへ。夕方、メプラーナ博物館を見学。金刺繍の棺を置いた内壁が美しい。
�┘肇襯魁Ε灰鵐筺�11月15日晴れ) コンヤのオズカイマック・ホテルの前には大型ショッピングモールがあり、スーパーマーケットがあった。今までの、お土産屋の品物が、うそのような安い値段で売られている。私達はここで初めて、少し買い物をする。 コンヤから230Kmのカッパドキアに移動。カッパドキア周辺は非常にやわらかい岩で出来ている。この地下都市は地下8階まであるそうだ。アラブ人に迫害されたキリスト教徒が住んでいた。入り組んでいて迷子になってしまいそう。時間の関係で地下4階まで見学。ここは、年中同じ温度だそうだ。紀元前400年。2万人が暮らしていたという。 トルコ絨毯のお店で1時間以上、缶詰めにされた。織り子がいて写真を撮らせ、絹糸の作り方から、絨毯のピンキリの説明まで。最後は大勢の店員が出てきて、個別で売り込み。ここまでわざとらしくされると、さすがにだまされる人はいなかった。サービスのトルコ・コーヒーをはじめてトライした。下に残ったどろどろは、飲んではいけない。味はちょっと変わっている。この写真は最高級シルクの絨毯で200万円とか。
カッパドキアのやわらかい地質によって、侵食が急速に進み奇岩が出来上がる。ギョレメの街は、その中心地だ。地球創世の時は、世界中がこんな景色だったのかも知れない。夕陽に照らされ美しい。 きのこ岩の中で、別のきのこ岩を背景に。きのこ岩も、やわらかいので、中は住居だった。今でも人が住んでいる岩もある。この日は、はとの谷、ウチヒサール、チョウシン、ラクダの谷などを巡った。どれも奇岩で面白いが飽きてしまった。 ��トルコ・カッパドキア(11月16日晴れ) カッパドキア地方のウルギャップの街にあるペリッシア・ホテルに宿泊。別館は狭くて良くない。こんなに狭い湯船は日本のビジネスホテルのようだ。さすがにトルコ最大の観光地。 この日の午前中は自由時間。ほとんどの人は、オプショナルツアーに出かけた。私達は、現地の人と触れ合いたくて、ユルギュップの街にでる。時間があれば写真の岩山に登ろうと思った。 ユルギュップの街で、一匹の犬がついてきた。観光客のにおいがするのだろう。かなり野良犬だが、愛嬌がある。 ユルギュップは奇岩の中にある。どこをみても、写真になる。 人がほとんどいないところまできてしまった。景色がすばらしい。途中でホテルに入り、道を聞きながらここまで来た。犬を道ずれのハイキングだ。この犬は帰りもずっとついてきてしまい、とうとうペリッシアホテルまでの2時間半、一緒だった。とてもかわいくなってしまい、名残惜しかった。現地の人と触れ合いたかったが、現地の犬と触れ合った旅だった。 午後、カッパドキアのスリー・シスターズを見学。3人美女の谷だそうだ。奇岩も、もう見飽きたかな。 この日は、ホテルに宿泊するのではなく、アンカラからイスタンブールへの夜行列車の1等寝台で旅をする。時間とコストを削減するということだ。この寝台車は人気があり、早いうちから予約しなければならない。2名定員のコンパートメントは、かなりのスペースがあり快適そのもの。冷蔵庫には、飲み物とおつまみがある。サービスなので、料金はかからない。洗面所も各部屋についているので、トイレだけが共用。みんな、昔の修学旅行気分でうかれていた。 ��(11月17日曇り) 朝8時にイスタンブールのアジア側、ハイダルパシャ駅に到着する。駅はボスポラス海峡に面しており、すぐにフェリーに乗る事が出来る。 背景に写っているのは、ハイダルパシャ駅。このフェリーで、再びヨーロッパ側に渡る。朝日が雲の切れ間から放射され、寝不足の目にまぶしい。 午前中は、イスタンブールの観光。ブルーモスクやグランド・バザールを見学。グランド・バザールは、食べるもの以外の着るものや装飾品等のお土産屋が、ものすごい数、軒を連ねている。よくもまあ、つぶれる事がなく、これだけのお店があるものだ。それだけ、観光客が多く、単品当りの利益があるのだろう。偽物だらけということか。日本語が飛び交っている。 この写真は、その後の自由時間に行ったエジプシャン・バザール。このバザールは、主に食品を扱っている。最後のお土産を買った店。いろいろな店と比較して再び訪れた。もちろん彼は日本語ができる。名古屋万博に行っていて、ぼろ儲けをしたと言っていた。ここでは、US20$のロシア産キャビアとUS10$のカラスミを買った。おまけにコースターを2枚つけてもらった。こんなコースターでも万博では、500円くらいで売れたのだろう。ギャンブルで買ったカラスミは、本物で美味だった。キャビアは、NG。安いキャビアはないというのが、結論か。
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